トークショーに参加したよ
本日、大分駅竹町にて行われた、絵本作家ザ・キャビンカンパニーのトークショーに参加した。
(2025/10/11お昼ごろ開催)
一時間ほどの読み聞かせ・トークの後、サイン会が行われ、子供連れのご家族が多く集まった。後ろには子供用の塗り絵・絵本コーナーがあり、会場はあたたかい雰囲気だった。
トーク内容は割と大人向けで、制作の話盛りだくさんであった。
ザ・キャビンカンパニーのお二人が、なぜ美術を志したのか、大学在学中に制作にのめり込んだお話、なぜ絵だけでなく立体物を作っているのか、作品形態として絵本を選んだ理由など、めったに聞けない生の話が聞けて、私自身も非常に学びの多いイベントとなった。
私自身も絵本「ゆうやけにとけていく」を購入した。
なかなか絵本作家ご本人のサインなんて、地方に住んでいて手に入れられるものではないので、家で何度も見ながらうれしさをかみしめている。
「ごちゃまぜ」について考えた
人が芸術を作るとき、頭や心の中をさらけ出すような感覚があるというが、それを世に発表し続けるというのは、かなりのエネルギーがいる。特に、彼らはその膨大な「エネルギー」を、作品にきちんとぶつけて、それを表現しているのだな、と素直に思った。
芸術作品を発表するのは、時に自分の身を切るような心持がすることもあり、それには大きな苦痛や疲労を伴うことも多い。
それでも、表現し続けることを止めない姿は、彼らもまた「エネルギー」の塊だということを証明しているのだろう。
話の中でよく出てきた言葉の一つに
「ごちゃまぜ」
という表現があった。
彼らの在学時、同じ部屋で、違う分類の芸術作品を学友と一緒に作っていたという。
一人はキャンバスに絵を書き、一人は立体造形を作り、一人は彫刻を作り、という空間が当たり前だったという。
場所もスペースも限られ、学部も様々な専攻の人が集っていたため、そのような空間になったのだとか。
都会の芸術大学や、芸術家も絵本作家についても、「分業」で行われていることが過半数という。
作品作りは同じジャンル同士しか集まらないとか、絵本作家は絵本しかかかない。
ザ・キャビンカンパニーのお二人は、「一つのことだけじゃなく、とにかくいろんなことを決めずにやってきたい」と述べていた。
一つのことに突き抜けることも大切だが、何か一つに決めなくても、ひたむきに自分の創作欲に打ち込めば、ジャンルとかカテゴリーとかは関係ないのかもしれない。
また、彼らのアトリエの土地に関連する話も出てきた。
大分では過疎化が進み、人間が緑に手を加えられないことも増え、田舎では気づけば建物に緑が侵食していたり、生活の場に森が混ざり合う。
そういう里と緑と人間が共生する中で、エネルギーにただただ圧倒されながら作品を造っているという。
そんな中で生まれた作品には、自然の中にある大きなエネルギーを包括して飲み込んで、「絵本」という作品にとらわれることなく、すべてが芸術作品として、壮大な力が内包されているのだろう。
そして作品を見る人たちに、それが伝わる作品作りがされているのだ、それが彼らが売れた理由の一つなのかな、と私は強く思っている。
誰しも皆、自分自身のエネルギーを持っていて、それを表現するすべを身に着けていたり、表現方法が見つからなくてもがいたり、様々な人がいるだろう。
私自身も、いつもそのエネルギーの昇華方法を様々悩んでいるが、とにかく表現し続けること、打ち込みつづけることを、止めないようにしていきたい。そう思わされた一日だった。
子どもって「ごちゃまぜ」なのがすきだよね
読み聞かせ活動の中で、私も絵本だけにこだわらず、お絵かきやら折り紙やらおしゃべりもやったりするのだが、とにかく大人は「分類わけ」とか「肩書」みたいなのが大好きだ。
「その活動はボランティアなのか」
「有償か無償か」
「あなたは一体何をしている人なのか」
「何を目指しているのか」
とにかく大人はこういう話が好きで、私もいつも、
「こう聞かれたらなんていえばいいか」
「所属がないからどうやってごまかそう」
とかそんな感じで心配ばかりしている。
型に自分をはめていかなくてはならない…と迷うことが多い。
しかし、それに対して子どもはいつも自由でごちゃごちゃしているなあと思う。
別に私の名前やどこで働いているかなんて知らなくても一緒に遊んだりできる。
小さな体で白い紙いっぱいにのびのびと絵を描いて、紙なんかに収まらなくて机にはみ出したりして、見ていて感服させられる。いつから、紙から絵をはみ出してはいけない、と思うようになったんだろうか。
「こんなに難しい折り紙はあなたの年齢では作れない」とか大人が言っても、やってみると作れて、親をびっくりさせたりする。
「この絵本は〇歳向けだから」と決めた基準も、子供はひょいと軽く飛び越えて、何冊も何冊も集中して読んだりする。
大人が圧倒させられてポカーンとしている間に遊びに飛び出して、気づいたら眠たくなっていて、親の腕の中で眠っていたりする。
結局、こどもも私もみんなも、「ごちゃまぜ」で居たいのだなぁと。
そんなことを思ったりした。

