読み聞かせにおいて大切にしていることをなるべく淡々とまとめます

読み聞かせにおいてらくが大事にしていることをまとめています 考察・思考メモ

大学生の頃から絵本の読み聞かせを行い、現在も自分で読み聞かせボランティアを行って、約8年が経とうとしている。
まかりなりにも、読み手としても、研究者としても、生えた毛を伸ばすぐらいには、腰を据えてやっているつもりだ。

ここらで少し、読み聞かせにおいて、自分の中で大切にしている「軸」のようなものを、自身の整理もかねてまとめようと思う。
あまり読み聞かせのセオリーとはずれる部分もあるかと思うが、読む人の参考になってもらえれば幸いである。

練習する

ものすごく当たり前のことであるが、読み聞かせに向けての選書をした際には、読みの練習をする。時間がないときも、少なくは10回以上は目を通し、声に出して読む。
自室の壁に「外郎売」を印刷して張っているので、何回か読んで、話すペースや声色をコントロールする。
(アナウンサーや声優などの発声練習に使われる古文である)

加えて、ページをめくる練習をする。
めくるのも、声に出しながらめくる練習と、持ち方の練習をする。鏡に映して絵本が傾いていないかを精査する。

まっすぐ、本をぶらすことなく、発声も安定させ、聞き手に気を配りながら読むのは、実はかなり難しい。よく読む本は、なんとなくでも地の文を暗記する。
通常手にもって読むときに見える文章も、読み聞かせ時の目線では、ページの端にあると遠くて見えない時がある。

「ひらがなだから」「長くないから」といって練習しない人もいるが、もう危険である。
ペース配分とか、どこで話が転換するか、どこが見せ場か。
それを意識しながら、聞き手の目を見つつ、絵本がぶれないよう腕を固定する。
なかなかに過酷だ。

読み聞かせにはもう一つ、筋トレも必要である。
持っているとき、めくるとき、絵本がぶれると、せっかく聞き手が集中して物語に入り、創造の翼を広げているのに、読み手が邪魔をしてしまう。

また、本の高さをキープし続けるのには、腕の筋肉が必要だ。
ぜひ筋トレをしよう。

聞き手の様子をよく見る

読んでいる間、聞き手がどんな様子かをよく見るようにする。
私の読み聞かせスタイルでは、あまり指差しとか注意は行わないようにしているが、少し集中がそがれるときは、話を遮らない程度に「さぁさぁ」とか、「次は」みたいな、つなぎの言葉を入れたりする。
また、聞き手が「わー」などの感性を上げると、それにめくるときに少し同調すると、より集中して聞くことができる時がある。

この時、読み手の私は、なるべく自然で、ゆったりした声にする。
読み手はあくまで、絵本の世界を支える存在でありつづける。

実際のところ、じーっと本を見てなくても、少し目線がそれた後に自分で集中をし直せる方もいるので、ケースバイケースであるが。
視線がそれたときに、行が変わるタイミングが来れば、気持ち声を大きくして、話に引き戻すことも有効だ。

いろんなやり方があるが、どちらにせよ、読む絵本の内容が頭に入っており、かつ、聞き手の様子を観察できる余裕がないと、難しい技術である。

読み終わった後「感想」を聞きすぎない

「感想を聞くかどうか」
ここの議論について、現代でもかなり明確な答えは出ていない。考え方も人によってかなり差異が出る部分であるので、うかつなことは言えないが。

私は基本的に「読み聞かせ後に感想は聞かない」タイプである。
さらにいうと、自発的に「どうだったか」という質問はしないようにしている。

いつも読み聞かせの終わりは、裏表紙を見せた後、表表紙にして

「(本のタイトル)でした」「聞いてくれてありがとうございました」

と締めるようにしているのだが、その後聞き手に対して感想は求めないようにしている。
もちろん、聞き手から「たのしかった」とか「おもしろかった」という言葉は出てくるときはあるが、「楽しかったね」と復唱や共感にとどめている。

いろんな意見があるが、最終的には

「その本を読み聞かせる結果、読み手が聞き手に対し、一体何を求めているか」

に帰着するのではないかと考えている。

例えば、環境問題に関する絵本を読んだ結果、聞き手に対して「環境問題についてもっと身近に感じて意見を持ってほしい」という啓発を行いたいのであれば、「これを聞いてどう思ったか」と尋ねるのは、ごく自然なやり方だ。
国語の読解文などもそうだ。問題を作った人が「こういう部分を読み取ってほしい」「学んでほしい」というものが存在するのだから、それを確認する手法として、感想や意見を求め、深めたり修正したりするのは、当たり前だと思う。

こういった方たちは、本を読む目的が明確にあり、それを聞き手に提示するのに、読み聞かせを使うのだと考えている。

だが、私は読み聞かせをする際、聞き手に対して本を通して伝えたいことがある、というわけではない。

単純に絵本がおもしろいと思ってほしいとか、読んでいる間ゆったり空気が流れていく雰囲気を味わってほしい、仲良しの友達や家族と聞くのが心地いい、なにを感じるかも聞き手の自由である、と考えている。
そのため、感想を聞く必要がないのである。

読み聞かせを聞いて「こう思ってほしい」が読み手である私にないので、聞き手に求める必要性を感じないのだ。
文学を楽しむのは、そういうことだと思う。
感想は、自由で、人に対して見せるために取り繕わなくてもいいのだ。

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