読み聞かせを行ったことがある方、誰もが必ずと言っていいほど聞く言葉がある。
「読み聞かせは淡々と読むのがいい」
という教えだ。
この教えは長きに渡り、読み聞かせや教育・保育・司書さんなど関係者の中で、今も様々な意見を産み続けている。
私らくも、読み聞かせをしている者として、また読み聞かせについて考えていく研究者として、この言葉について、きちんと考察していきたい。
まず私の意見として「淡々と読む」ことについて、おおむね賛成である。
大前提として、「淡々と」という言葉の解釈が人によって曖昧となっていることは否定できない。
そのため、今回は「淡々と」という意味と、私がどのように読み聞かせで実践しているのか、について述べていきたい。
そもそも「淡々と」とは
「淡々と」を言葉の意味で読むと、次のように出てくる。
淡々ととは、感情を表に出さず、落ち着いて物事を進める様子を表す言葉である。 テンションの上下が少なく、一定のペースで物事を処理する状態を指し、冷静さや安定感を伴うニュアンスを持つ。
https://www.weblio.jp/content/%E6%B7%A1%E3%80%85%E3%81%A8
率直に言うと、この「冷静」「安定」というイメージが、
「淡々と」=「棒読み」
と解釈され、波紋を呼んでいるようだ。
確かに定義だけを見ると、そう解釈できなくもない。
文字だけで見ると難しいニュアンスである。
読み聞かせ時における「淡々と」した読み方
では、私らくはどのようにして「淡々と」を解釈しているか。
私の淡々と読む基準は、
「読み手の肩が持ち上がったり、持っている絵本が大きく揺れたりしない程度」
の読み方である。
逆にこの範囲内であれば、声量も調整するし、抑揚も付ける。
私の中では、「淡々と」と「棒読み」は違う、と解釈している。
全くの別物だ。
私がこの読み方を採用するのに、いくつか理由がある。
まず理由のひとつは、私が読み方をする場合、聞き手の人は初めて会う子どもさんやその保護者など、第三者であることが多い。こちらの人となりについてよく知らない人も多い。
(私が読み聞かせをするとき、大抵私と聞き手は初対面である)
そこで私が例えば、勢いよく演技がかって、大きな声で全力で読んでいるとする。
登場人物のセリフも、感情をこめて、絵本を大きく動かしたりしながら。
すると読み終わった後に、絵本の物語や絵本の感想ではなく
「あの人読み方凄かったね」
と、絵本の内容そのものより、演技についての感想が一番にきてしまう。
(私はこれらを「激しい読み方」と自分で呼んでいる)
声優や演劇、役者など、自身の声を聴かせたい思いで読み聞かせをしているのであれば、それでよいはずだ。
しかし、私がしたいのは、
- 絵本そのものの良さを広めること
- 絵本の世界や音のリズムを楽しむこと
- 絵本を使って読み手と聞き手・その場全体とコミュニケーションをとること
- 聞き手、特に子どもや親子内での話題の一助となること
これらが私らくの読み聞かせの主軸であるため、激しい読みは必要としていないのである。
他の理由として、ある程度抑揚をつけないと、聞いている方が楽しくないからだ。
絵本や児童文学を勧める中で、
「物語自体が面白いのだから読みの工夫は必要ない」
「聞いてくれたらわかる」
という方がいる。
こっちの方は、棒読みというか、「平坦に」読んでいる。抑揚も声量の変化もなく、ページのめくるスピードや見せ方に調整がないタイプである。
気持ちはすごくわかるのだが、正直それで読んでいて子どもは「楽しくない」のが現実だ。
それに、その「平坦な読み」というのは、時折物語の地の文と矛盾を引き起こす。
例えば、
- 楽しく明るい場面だが、読み聞かせを聞いていて楽しさが伝わらない
- 悲しい気持ちが書かれているのに間がない
- 「大きな声」「小さな声」と書かれているが声量に変化がない、「はやい」といってるのにゆっくり進んでいる(違いが伝わらない)
- 絵を見ないと流れがわからない場面だが、めくるスピードが統一されたため聞き手が絵を読めない
読み聞かせは、単に読み方の良しあしではない。
表紙、タイトル、中身、裏表紙まで、読み手が把握したうえで、どこが「見せたいポイントなのか」を押さえて、それらを正しく反映させた読み聞かせをすべきである。
絵本の中には、裏表紙までや、裏表紙から表紙に帰ってきてようやく物語が完結するものもある。
地の文の展開に合わせて、ページをめくるスピードを工夫すると、緩急が読み方が平坦でも緩急がつき、ドラマチックさが伝わる。
ずっと本の持ち方は同じでいいのか、絵の内容に合わせて縦にしたり横にしたり、はたまた戻ったりはないのか。
様々な要素が絡み合って初めて、
読み聞かせは面白いな!
に到達するのである。
